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第148話 接触

Autor: marimo
last update Fecha de publicación: 2026-10-16 21:00:22

午前十時。

FJエンターテインメント本社の受付に、一人の男が現れた。

年齢は五十代半ばほど。

グレーのスーツを完璧に着こなし、姿勢に一切の隙がない。

名刺を差し出す所作まで、無駄がなかった。

受付スタッフが名刺を見た瞬間、表情が固まる。

そこに書かれていた名前。

黒川ホールディングス 専務取締役

篠原 賢一

——黒川の側近。

最も信頼されている“手”。

篠原は受付の女性を見下ろすことも、急かすこともしなかった。

ただ、静かに立っている。

まるで、この場所に自分が来ることなど当然だと言わんばかりに。

数分後。

東堂の元へ連絡が入る。

「アポイントはないそうですが、“必ず通せ”と」

東堂の眉がわずかに動く。

来たか。

思ったより早い。

昨日までの調査が、もう向こうに伝わっている。

——こちらが調べていることを、すでに知られている。

「社長に伝えろ。俺が先に会う」

だが、返ってきた答えは予想外だった。

「いえ、“藤崎優本人以外とは話さない”と……」

東堂は小さく息を吐いた。

完全に、こちらの動きを読んでいる。

そしてこれは——牽制だ。

「……分かった」

東堂は受話器を置いた。

嫌な予感がす
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  • 誰よりも、君だけを―裏切られた私が、主演女優賞を獲るまで―   第148話 接触

    午前十時。FJエンターテインメント本社の受付に、一人の男が現れた。年齢は五十代半ばほど。グレーのスーツを完璧に着こなし、姿勢に一切の隙がない。名刺を差し出す所作まで、無駄がなかった。受付スタッフが名刺を見た瞬間、表情が固まる。そこに書かれていた名前。黒川ホールディングス 専務取締役篠原 賢一——黒川の側近。最も信頼されている“手”。篠原は受付の女性を見下ろすことも、急かすこともしなかった。ただ、静かに立っている。まるで、この場所に自分が来ることなど当然だと言わんばかりに。数分後。東堂の元へ連絡が入る。「アポイントはないそうですが、“必ず通せ”と」東堂の眉がわずかに動く。来たか。思ったより早い。昨日までの調査が、もう向こうに伝わっている。——こちらが調べていることを、すでに知られている。「社長に伝えろ。俺が先に会う」だが、返ってきた答えは予想外だった。「いえ、“藤崎優本人以外とは話さない”と……」東堂は小さく息を吐いた。完全に、こちらの動きを読んでいる。そしてこれは——牽制だ。「……分かった」東堂は受話器を置いた。嫌な予感がする。これは単なる訪問ではない。黒川という男が、自分たちの存在を見せつけに来たのだ。社長室。ノックの後、東堂が入る。「社長。黒川の側近が来ています」優は書類から視線を上げなかった。「通せ」迷いがない。東堂は一瞬だけ優を見た。止めても無駄だと理解し、黙って頷いた。やがて扉が開く。篠原は一歩入室すると、丁寧に一礼した。「突然の訪問、失礼いたします」声は穏やか。だが、人の感情を感じさせない。優は椅子に座ったまま言う。「要件は?」篠原は微笑んだ。営業用の笑みではない。温度のない笑み。相手を安心させるためではなく、相手との力関係を確認するための笑みだった。「黒川が、ぜひ一度ご挨拶したいと」東堂の空気が張り詰める。挨拶?違う。呼び出しだ。しかも篠原の口調には、優がそれを断るはずがないという確信さえ滲んでいる。この街で、黒川からの誘いを断る人間などいない。——そう思っている顔だった。優は即答した。「断る」一秒の間もなかった。篠原の笑みが、ほんのわずかに深くなる。驚きではない。むしろ、予想通りだという表情。「そう言われると思っており

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    「十年前から現在に至るまで。雪城沙羅のすべてを洗い出せ」低く落ちた藤崎優の命令に、東堂は一切の躊躇なく頷いた。「承知しました」それが、どれほど骨の折れる作業になるかは分かっている。雪城沙羅。トップ女優。完璧な経歴。非の打ち所のない成功譚。華やかな受賞歴。数々の主演作。――表向きは―――。だが、東堂には分かっていた。人間の過去は、表に出ているものだけではない。むしろ、完璧すぎる経歴の裏側には、何かが隠されていることがある。東堂はまず、歴代のマネージャーに当たった。だが、多くは口が重かった。「……特に問題のある方ではありませんでしたよ」「プロ意識の高い女優です」「結果を出す人でしたから」模範解答のような言葉ばかりが並ぶ。だが東堂は知っている。本当に“何もない人間”など、この世界には存在しない。まして、十年以上もの間、頂点に立ち続けた人間ならなおさらだ。東堂は相手の表情を見ながら、黙ってメモを取った。質問を終えても、相手の指が落ち着きなく動いている。視線が妙に泳ぐ。言葉と表情が一致していない。――何かある。そう確信した。沈黙は、美徳ではない。沈黙は、隠蔽だ。次に当たったのは、かつて同じ舞台に立っていた女優たちだった。だが、ここでも反応は二極化した。怯えたように話を拒む者。電話を切る者。「もう関わりたくない」と震える声で言う者。そして――金を受け取ったあと、堰を切ったように語り始める者。「私は、主役を降ろされたんです!!」ある元女優は、乾いた笑いを漏らした。その笑いの奥に、何年経っても消えない悔しさが滲んでいた。「理由は“方向性の違い”。でもね、本当は違う。撮影の一週間前に突然よ。代役が誰だったと思う?」東堂は答えを予測していた。「……雪城沙羅ですか」女は頷いた。その瞬間、押し殺していた感情が、堰を切ったように溢れた。「そうよ」声が震える。「私、何年もその役のために準備していたの。台本を何度も読み返して、体重も落として、演技も作り込んで……やっと掴んだ役だった」一度、唇を噛む。「それなのに、一週間前よ」目に涙が浮かぶ。「全部、なくなった」東堂は黙って聞いていた。女は涙を拭いながら笑った。「悔しかった。本当に悔しかった。私より沙羅のほうが才能があったって言われたら、ま

  • 誰よりも、君だけを―裏切られた私が、主演女優賞を獲るまで―   第143話 視線の主

    撮影スタジオの空気は、張り詰めていた。体調も戻りつつあり、ひかるは再び、他のドラマの撮影現場に立っていた。久しぶりの現場だった。大型照明の熱。スタッフたちの慌ただしい足音。台本をめくる乾いた音。遠くで聞こえる機材の移動音。そのすべてが、以前と何も変わらない。変わってしまったのは、自分のほうだった。ひかるは静かに立っていた。衣装は、役柄に合わせた淡いグレーのドレス。派手さはない。けれど、ひかるが身につけるだけで、それは舞台衣装のように見えた。「本番いきます!」監督の声が響いた。カメラが回る。ひかるはゆっくり息を吸った。怖い。ほんの一瞬、胸の奥でそう思った。事故以来、車の音を聞くだけで身体が強張ることがある。急に背後から近づいてくる気配に、心臓が跳ねることもある。そして今も。大勢の人間に囲まれているはずなのに、どこかに危険が潜んでいるような気がしてならない。けれど――そんなものを、誰にも見せるわけにはいかなかった。私は女優だ。カメラの前で怯えている姿など、誰にも見せない。怖いなら、怖いまま演じればいい。ひかるは胸の奥で震える感情を、静かに押し込めた。相手役の俳優が台詞を言い終える。ひかるはゆっくりと顔を上げた。その瞬間――スタジオの空気が変わった。悲しみ。怒り。諦め。そして、かすかな希望。複雑に絡み合う感情を、ひかるはただ“目”だけで表現する。誰も息をしない。ひかる自身も、演じている間だけは事故のことを忘れていた。違う。忘れたのではない。恐怖さえも、役の感情に変えていた。「……カット!!」監督が立ち上がった。「いい……いいよ久遠さん!今の最高だ!」スタッフの間から小さなどよめきが起きる。ひかるは微かに息を吐いた。戻ってこられた。その実感が、胸の奥に小さな灯りをともした。――私はまだ、ここに立てる。そう思った、そのときだった。背中に、冷たいものを感じた。ぞくり。身体が勝手に反応する。――見られている。事故のときにも感じた、あの視線。ひかるは反射的に振り返った。だが、そこには機材を動かすスタッフしかいない。気のせい……?いや、違う。女優として培ってきた本能が告げている。あの夜と同じ視線だ。ひかるは何でもないような顔を作りながら、周囲を見渡した。する

  • 誰よりも、君だけを―裏切られた私が、主演女優賞を獲るまで―   第7話 見せつける夜

    夜のリビングには、古い映画の音だけが流れていた。白黒に近い色調の、恋人同士が静かに抱き合うシーン。窓の外では、雨がまだ降っている。時折、車の走る音が濡れた道路を滑っていった。部屋の照明は落とされ、テレビの光だけが、ぼんやりと室内を照らしている。そのソファには、二人がいた。黒崎俊哉と、相沢玲奈。玲奈は俊哉の膝の上に横向きに座り、腕を首に回しながら、指先で彼のシャツの胸元をなぞっている。まるで、自分だけが愛されていると確認するように。俊哉の手は、彼女の背中から腰へ、ためらいもなく滑っていた。二人の距離は近すぎて、見てはいけないものを見ている気分になる。「この映画、好きな

  • 誰よりも、君だけを―裏切られた私が、主演女優賞を獲るまで―   第3話 出会いの記憶

    黴臭い布団に横になり、天井の染みを見つめていると、意識とは裏腹に、記憶だけが勝手に遡っていった。――どうして、あの人と出会ってしまったのだろう。あの頃の私は、できるだけ人目につかないように生きていた。派手な服も、化粧もせず、ただ「静かに」「何も起こさず」一日を終えることだけを考えていた。生活のために始めたのが、清掃のアルバイトだった。古くて、薄暗い雑居ビル。廊下の電灯はところどころ切れ、昼間でも影が溜まるような場所だった。そのビルの一角に、《Kurosaki Creative Works》という、出来たばかりの広告制作会社が入っていた。出会いは、共同トイレだった。男

  • 誰よりも、君だけを―裏切られた私が、主演女優賞を獲るまで―   第2話 物置部屋の夜

    次の瞬間、頬に衝撃が走った。「口答えするな!!」視界が揺れ、体が傾く。床へ倒れ込んだ拍子に、テーブルの脚へ肩をぶつけた。鈍い痛みが走る。けれど俊哉は、そんなこと気にも留めなかった。「お前さ、最近調子乗ってるよな?」「誰のおかげで生活できてると思ってんだよ」怒鳴り声が、耳の奥で反響する。昔は、こんな人じゃなかった。少なくとも、ひかるはそう信じていた。仕事で失敗して落ち込んでいた夜、「お前がいてくれるだけでいい」そう言ってくれた男だった。雨の日、傘を差しながら、「風邪引くなよ」と肩を抱いてくれた人だった。でも。その優しさは、いつの間にか消えていた。倒れかけた

  • 誰よりも、君だけを―裏切られた私が、主演女優賞を獲るまで―   第1話 空気みたいな女

    ――彼に殴られたのは、これが初めてではなかった。けれど、「愛している女がいる」と、はっきり言葉にされたのは、今日が初めてだった。頬の奥が熱い。殴られた衝撃で耳鳴りがしているのに、不思議と痛みは遠かった。ただ、胸の奥だけが、じわじわと冷えていく。床に座り込んだ私を、婚約者であるはずの、黒崎俊哉(くろきしゅんや)は見下ろしていた。そこにあるのは怒りでも、罪悪感でもない。ただ、鬱陶しそうな視線。まるで、自分の生活を邪魔する“何か”を見るような目だった。「なあ、いつまでそんな顔してるつもりだ?」低く、冷たい声。まるで、床に落ちたゴミに話しかけるようだった。ひかるは答えられな

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